日本最高峰のスーパードラマー【村上“PONTA”秀一】
村上“PONTA”秀一、これまで参加レコーディング数が10,000曲以上というドラマーが日本国内にいるだろうか?いや、村上秀一しかいないであろう。
彼が奏でるドラムを初めて聴いたのは中学時代であったが、最初は日本人とは思っていなかった。
何故かというと70年代、80年代と彼のようなテクニックとリズム感を持ったドラマーが日本にはいなかったからである。
そして2000年代に幸運にも彼と一緒に仕事をする機会に恵まれ、初めて彼の生ドラム演奏を聴いた時、彼のドラムから繰り出される一つひとつのリズムに興奮と感動した事を今でも鮮明に覚えている。
彼がその時私に話してくれた
「スティックでドラムの面をどう叩くかにいつも集中している」
という言葉が彼のドラムへの純粋な思い、そしてこれまでのドラム人生を物語っているように感じた。
村上秀一は1951年1月1日に兵庫県西宮市で生まれる。そう誕生日が元旦なのである。
1972年に当時人気だったフォーク・グループ“赤い鳥”に参加する。これが彼のプロドラマーとしてのスタートであった。
“赤い鳥”を脱退後、井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、さだまさし、泉谷しげる、DREAMS COME TRUE、桑田佳祐、長渕剛、EPO、角松敏生、尾崎豊など人気ミュージシャンや人気グループのレコーディング、ライヴに参加する。
レコーディング参加曲数は10,000曲を遥かに超え、14,000曲以上に達する。
JAZZ界では渡辺貞夫、山下洋輔など大物ミュージシャンとセッションもおこなう。
この他にも演歌、アニメソングなどジャンルに拘らず、幅広い音楽活動をおこなっている。
1993年に村上“PONTA”秀一自身がリーダーとする“PONTA BOX”をスタートさせ、現在も活動を継続している。
90年代頃にフジテレビの夜に放送されていたニュース番組に村上秀一の音楽コーナーが設けられ、そこで現在療養中のglobeのボーカルKEIKOと共演をした事を強く記憶している。
KEIKOの歌唱力の高さ、表現の豊かさは言うまでもないが、当時のトップJ-POPシンガーとNo.1リズムマスターとのセッションはどのようなものになるのか魅力を大にしていたが、実際にその融合を目にした時はジャンル、いや音楽を飛び抜けた世界観を表現していて、とても素晴らしく感動できるセッションであった。
その後もフジテレビ系の日曜夜に放送されていた番組『堂本兄弟』にドラム担当としてTVレギュラー出演していた。
昨年デビュー45周年を迎え、現在もトップドラマーとして生き生きと活動をしている。
村上“PONTA”秀一は、まだまだ目の離せない“日本のトップ・ミュージシャン”である事は間違いない。